第二十五代宗家 鎧師・明珍宗恭氏、宮内庁御装束調進方「高田家」河西章氏に師事。
阿古が手掛ける鎧は繊細で美しさの中にひそむ儚さとものの哀れ 明珍からのストーリーを理解し、自身が信じる鎧の美を創り続け守っていく事。これが阿古の役割です。
鎧廼舎 誕生から漆塗師として携わり鎧司として明珍阿古に寄り添い、共に消えゆく美しい日本文化を守る決意をいたしました。
着初式実行委員長
かぎりある命、永年は最高の創作活動を続けたのです。
その思いが工房に漂う一抹の寂しさを乗り越え、前に進んで行けるのです。
作品タイトルとともに意味を持つ思いを込めた唯一無二の特別なギフトなのです
新たな眼差しで再解釈自然の中から豊かな心の美が育む独自の創作性を通して最高の喜び事の日をあなたと共に
これまで受け継がれる 伝統へのオマージュ鎧の美の歴史に 新たなページを刻みます
かぎりある命、永年は最高の創作活動を続けたのです。
その思いが工房に漂う一抹の寂しさを乗り越え、前に進んで行けるのです。
室町時代末期から続く明珍家の宗家、第二十五代目当主。90余年にわたる製作活動の中で手がけられた国宝、重文級の鎧・兜の復元、修理、製作は優に1千領を超えています。中でも堀氐 監修の10年の月日をかけて完成した茜染の大鎧名家の誇りと素晴らしい技術をもって製作した大鎧は気品にみちています。阿古を鎧の世界に導いた運命の茜染の大鎧です。
宮中内蔵寮御用装束調進方天皇に仕え京よりご一緒し品格の高い宮中装束の製作に携わっておられます。
鎧着初式の装束のご指導頂き伝統と格式のあるお家の鎧直垂は美しいものです。
鎧の歴史に結びつく場所を旅して須崎宮司様の温かいご配慮に鎧司として究極の贅沢な時間を過ごしました。
心揺らぐ時東次郎様との御縁がいきいきと明るい輝きに満ちた心になれ新しいステージさらなる高みへ進みます
山本家の言葉に「乱れて盛んになるよりは硬く守りて滅びよ」心に響きます。
貴族と鎧の関係は深い。
後白河院の御所として用いられた法住寺殿の跡から発掘された雲龍紋を施した鍬形、小札の大きい「大荒目の鎧」などがあります。
威毛の華麗な色彩感や絵革の文様、金物の意匠や造形など、大鎧は王朝文化の美意識が表現されています。
大鎧の肩上に吊り下げた左右の大袖は、手楯のように宛てて飛来する矢を防ぐのに用いられ、特に射かけてくる左方の射向の袖(射向板)に重点が置かれ、伝統的な手法が凝縮されており、装飾的価値も高く、数百種の威し方が残っています。
自身を守る重要な部分でもあることから、大切にされました。射向板のみで大鎧の全容を伺えることができます。
葵祭牛車に下る藤の花がゆれながら、王朝絵巻が進みます。花藤のモチーフが千年の伝統から現代に表現します。
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